2025/06/09 12:05
「郷土と人の混ざりあい」という表題の本を書いてから、郷土を考える事が増えた。
そんな中、読書会でご一緒している多田さんと稲垣さんが大阪から遊びに来ることになった。
いつもはオンラインで会話をしている間柄である。その読書の内容が自然農法に関連するため、関心ごとが少なからず重なっている気がしていたので、私の郷土内でも十分遊べると思いご案内した。
案内は6月上旬の二日にかけておこなった。1日目は私の母のフィールドである最上町の畑と山。2日目は私がお世話になっている細谷さんのフィールドである西川町の山と畑を設定した。
両日ともに、いつも仕事を手伝ってくれている阿部さん達にもお声がけをして一緒に過ごした。阿部さんには、昨年に書いてもらった農家の暮らしの記録の続きを書いてもらっている。それが農家の環境世界についての記録になる。そのため、今回の2日間はピッタリだったので同行をお願いした。
私は郷土と人の混ざりあいの仕方について、母と細谷さんから主に追体験というやり方で教わる事がある。1日目は畑と山からたくさん採れた食材を関わる人へ分配していくことと、2日目は自然の中に入って遊ぶための道具の使い方だ。なのでこの二日間は「郷土と人の混ざりあい」の追体験となった。そこで郷土という小さな枠の中にある大きな自然の流れの一端に触れてみたい。
参照:郷土と人の混ざりあい
1日目は、晴天の山に入って山菜を採った。二カ所回ったうちの一カ所目は、赤ミズとフキを採った。昨年の大雨で道がえぐられていた。赤ミズがあるポイントについたら、みんなで採っていく。その後に、フキも見つけたから採っていく。二カ所目は、山散策をしながら、桑や山椒を見つけクロモジのポイントまで歩いていく。そこからちょっと足を伸ばして、山頂まで行き、点々とする家々と、水を張ったばかりの田園風景の中に点在するこの町の特産品であるアスパラガス畑を眺める。
そこから畑へ収穫体験をして、畑で昼ごはんとなる。畑ではアスパラガスの収穫をした。この畑と山の関係は、畑の出来事→母の見方→山の畑化へと向かう。畑化と言っても山のどこに何があって、このタイミングで行けばどれぐらい採れるかという行動であり、この採る行動には、収穫の身体動作が備わっていると私は思う。なぜなら採ることは売ることであり、売切れないものは贈り物として関係各所へ渡すためである。畑のグリッド化された空間にある野菜もそういった行動原理の上で植えて生えてくる。
昼ごはんでは、山や畑で採れた食材を使った料理がならぶ。風が吹くなか新鮮な土と植物の香りが、料理と共に口に運ばれる。クロモジ茶を飲みながら料理の話をしている間に時間が過ぎていき、音読会に移った。
今回は私がみんなと読みたかった、著者:ユクスキュル「生物から見た世界」の一部を用意した。著者の代表的なダニの環境世界が書かれている。内容はあまり覚えていないが、確かダニがどう世界を感じて生きているかみたいな話だった気がする。しかし、音読している最中の風が気持ち良かったことと、音読後の感想の言い合いでみんなそれぞれ発言があったことが驚いた。
音読では食事の時とは違った場所の共有が本に移って、目で戻ることのない文字を追いながら、言葉の音で身体感覚的な何かを同期させていく。それはきっと、ウサギを追い込む狩猟もこんな感じなのかと考えてしまう。
読後に、たとえ獲物を捕まえられなくても、個人的にはなんだか分からなかったけど良かったねと、ぼんやりした感想を各々が持ち帰って、その後に獲物の輪郭を見つけていく。ぐらいが丁度良いかなと思っていた。というのも、私がそれぐらいしかできないので全体の感想の時間の配分を見誤ってしまった。
片付けも阿部さん達に任せて、吉田さんの展示に向かう。展示物を前に会話が飛び交う中で、今までの吉田さんとの山とコウバでの追体験を思い出しながら、そこがギュッとなったところ(展示物)だなあと考えながら居させてもらった。
2日目は、最上町から1時間半ほど離れた西川町という月山の麓で暮らしている細谷さんから、小雨が降る中でのカヌーの使い方を教わることからスタートした。そこまで車で山をぐんぐん登っていく。地蔵沼というところに行ったが、ブナの木々が生い茂る中に雪解け水が流れ込む場所がある。漕ぎ方を教わって早速カヌーでプカプカと浮いた。細谷さんと私は1人乗り用で、あとは二人乗り用で分かれてカヌーを操縦する。二人乗り用の先頭の人は転倒しそうでビックリした場面が何度かあったらしい。
腕で一生懸命に漕ぎながら、疲れたらボーッと浮かびながらカヌーの扱いに慣れていく。しかし細谷さんの漕ぎ方を見てみると腕だけではなくて、身体全体でカヌーとその周りの水を扱っているのがわかった。そういった道具の扱い方を聞きいた。改めて私は腕しか使っていなかったことを思い知ったのは後日、筋肉痛になってからだった。話していて面白かったのは、道具が人と自然の緩衝材としての解釈もあることだ。浮くためにカヌーがあるというよりも、水と人の間にカヌーを挟むことで結果として浮く。そういった道具達が周りにある状況が羨ましくなった。
その後、沼の周りを散策する。残雪の中に食べ頃なフキノトウがまだあった。高低差のある道を植物を観察しながら一周した。
お昼ご飯は、かえるのこというお蕎麦屋さんで、山菜蕎麦を食べた。山菜の天ぷらもあってタラノメやコシアブラが出てきた。この時期にまだあることに驚いたが、フキノトウを見たあとだったので妙に納得してしまった。そこで阿部さんの旦那さんとは別れて、細谷さんの畑へ向かう。
雨が降り頻る中での畑案内となったが、山での出来事→細谷さんの見方→畑というちっちゃな山の出来事群がそこにはあった。それは、食べられる植物が土との関係とその周りの状況と緩やかにつながっている場所であった。
小屋の軒先で座って、畑で採れたミントをお湯で煮出して飲みながら用意していただいた和菓子の甘さがカヌーで使った身体に丁度良く染み渡った。1日目にみんなでたくさん採った山菜を分けたモノを、お土産にお渡しして多田さんと稲垣さんとはここでお別れした。その後、細谷さんと阿部さんと小一時間ほどお喋りをして、この二日間の案内を終えた。
後日、多田さんからお土産でいただいた、著者:多木陽介「失われた創造力へ」を読んだ。
その中で、ものからものが生まれるという項目の、“ 創造とは、「作者」がゼロからアイデアを捻り出してつくるものではなく、身のまわりに存在する物質や既存のものに触れ、そこから得た経験や知識を自分なりに分析するところから始まるものと心得ていた。”を、この二日間に重ねたいと思う。山や畑と同期する2人の暮らしを追体験して、私は「郷土と人の混ざりあい」の続きを書いていきたいと思う。